1日どんよりしていて北西部からこんばんは。
家から一歩も出ない、歩数計がおかしな数字をたたき出している1日です。
月末にはイースターがやってくるというので、スーパーは相変わらずのチョコレート推しを繰り広げています。
先週末は母の日もあったので余計にね。
特に信心深くもない我々夫婦でも、マーケティングに乗せられて、気が向いたらイースターエッグ(という名の卵型空洞チョコレート)を買ったりもします。
さて。
夫が1度目の結婚をしていたはるか昔、前妻さんの家族はカソリック系で親戚もものすごく多かったのだそうです。
その中には神父になった人が複数おり、親族の中ではそれはそれは誇らしいことであったようです。
ある時、そのうちの一人(70代、前妻さんの叔父)がとうとう第一線を退き、ホーム(引退した神父が共同生活を送る場所)に入るというので、お祝いのホームパーティが開かれました。
彼は15歳で修道生活に入り、仕事の一環で世界中を旅してきました。
お祝いに欲しいものは「ウイスキー一択」だったそうで、親戚中からボトルが献上され、それをみんなにふるまいつつ歓談をしていたら、これまた信心深い親戚の一人が、
「おじさん、引退おめでとう!神に仕える身として何十年も過ごしてきた人の感慨を聞かせてくださいよ」
「………世の中にはいい人と悪い人がいる」
「え!待っておじさん、それだけってことはないでしょう? Our lady (聖母マリア)は?キリストの復活は?」
「それを見てきたわけではないのでね。事実かどうかは私にはわからんよ。何を信じているかは関係ない。世界にはいろいろな人がいて、いろいろな宗教があり、そしていい人と悪い人がいる。それだけだよ」
「そんな…」
若い頃に修道の道へ進もうと考えたこともあった、その親戚(でもとんでもなくレイシストだったそうです)にとって、その一見あっさり淡白に見える感慨はかなりショックであったらしく、その場でちょっとした議論となり、横にいた別の聖職者の親戚も特に反論することもなかったため、それを聞いていた別の親戚の奥さんは、結婚のために改宗までした私の人生って一体…と台所へ駆け込みむせび泣く、というメロドラマがその後展開されたそうです。
夫は同じくたまたま結婚した人がカソリックだったという、当時の義理の兄と目配せしつつ、目の前で展開されるドラマを静かに眺めていたそうですが、人が作った宗教だからこそ、突き詰めて、外側の「ガワ」部分をはがしていくと、中心の部分にあるのは結局そういった真理なのではないか、と思ったりします。
薄皮饅頭も、大福も、どら焼きも、結局中身は「餡」だよね、っていう。
義理のおじさんは教会の酸いも甘いも噛みしめた上で、ある意味「悟った」のではないかと。
イースターエッグの中が空洞というのも何かを感じると言えなくもない(こじつけ)。
そして、ブーさんの歯ブラシ待ち修行はつづくのであった。
← いつか悟るよ。
家から一歩も出ない、歩数計がおかしな数字をたたき出している1日です。
月末にはイースターがやってくるというので、スーパーは相変わらずのチョコレート推しを繰り広げています。
先週末は母の日もあったので余計にね。
特に信心深くもない我々夫婦でも、マーケティングに乗せられて、気が向いたらイースターエッグ(という名の卵型空洞チョコレート)を買ったりもします。
さて。
夫が1度目の結婚をしていたはるか昔、前妻さんの家族はカソリック系で親戚もものすごく多かったのだそうです。
その中には神父になった人が複数おり、親族の中ではそれはそれは誇らしいことであったようです。
ある時、そのうちの一人(70代、前妻さんの叔父)がとうとう第一線を退き、ホーム(引退した神父が共同生活を送る場所)に入るというので、お祝いのホームパーティが開かれました。
彼は15歳で修道生活に入り、仕事の一環で世界中を旅してきました。
お祝いに欲しいものは「ウイスキー一択」だったそうで、親戚中からボトルが献上され、それをみんなにふるまいつつ歓談をしていたら、これまた信心深い親戚の一人が、
「おじさん、引退おめでとう!神に仕える身として何十年も過ごしてきた人の感慨を聞かせてくださいよ」
「………世の中にはいい人と悪い人がいる」
「え!待っておじさん、それだけってことはないでしょう? Our lady (聖母マリア)は?キリストの復活は?」
「それを見てきたわけではないのでね。事実かどうかは私にはわからんよ。何を信じているかは関係ない。世界にはいろいろな人がいて、いろいろな宗教があり、そしていい人と悪い人がいる。それだけだよ」
「そんな…」
若い頃に修道の道へ進もうと考えたこともあった、その親戚(でもとんでもなくレイシストだったそうです)にとって、その一見あっさり淡白に見える感慨はかなりショックであったらしく、その場でちょっとした議論となり、横にいた別の聖職者の親戚も特に反論することもなかったため、それを聞いていた別の親戚の奥さんは、結婚のために改宗までした私の人生って一体…と台所へ駆け込みむせび泣く、というメロドラマがその後展開されたそうです。
夫は同じくたまたま結婚した人がカソリックだったという、当時の義理の兄と目配せしつつ、目の前で展開されるドラマを静かに眺めていたそうですが、人が作った宗教だからこそ、突き詰めて、外側の「ガワ」部分をはがしていくと、中心の部分にあるのは結局そういった真理なのではないか、と思ったりします。
薄皮饅頭も、大福も、どら焼きも、結局中身は「餡」だよね、っていう。
義理のおじさんは教会の酸いも甘いも噛みしめた上で、ある意味「悟った」のではないかと。
イースターエッグの中が空洞というのも何かを感じると言えなくもない(こじつけ)。
そして、ブーさんの歯ブラシ待ち修行はつづくのであった。
← いつか悟るよ。